西村和彦が書道家の嫁との噂の離婚理由の真相とうどん屋の実家との関係

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演技派俳優の西村和彦さんが、一回り年下の書道家の國重友美さんと離婚していたそうです。

西村さんはバツ2になりましたが親権を取り、シングルファザーの俳優になりました。

なんだかんだ言いながらもラブラブそうに見えた西村夫妻が結婚10年目にして離婚になってしまった理由と、西村さん自身の有名な実家についても調べてみました。

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西村和彦さんの離婚原因はすれ違い?


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西村和彦さんと聞いて、一瞬は『古畑任三郎』の今泉君役をしていた西村雅彦さんを思い出してしまいますが、西村和彦さんとはリポビタンDのCMで宍戸開さんと「ファイト、一発」していたり、サスペンスドラマにも出ているもう少し若くてイケメンの方です。

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西村さんは1988年の22歳の時に、『超獣戦隊ライブマン』のオーディションに合格し、芸能界デビューを飾ります。

そのヒーローの演技が評価され、リポビタンDのアクロバティックなCM出演に起用されてから全国に知られるようになりました。

身長も高く、ハンドボールやラグビー、空手、乗馬等のスポーツ万能で、イケメン具合と健康的な体つきがリポビタンDのCMの爽やかな雰囲気に合っていました。

中山美穂さんとWANDSが「世界中の誰よりきっと」の主題歌を歌った『誰かが彼女を愛してる』での三角関係の相手役や、主役として出演した同性愛をテーマにした『同窓会』で元TOKIOの山口達也さんとの絡みも話題になりました。

最近では昼ドラの『牡丹と薔薇』での夫役、サスペンスドラマに出演等、主役としてよりも名脇役として数々のドラマに出演されています。

30歳の時に女優の立原麻衣さんと一度結婚しますが、10年経たずに離婚。離婚の翌年に書道家の國重友美と結婚してお子さんを2人授かりました。

すれ違いになった別居婚

新妻と結婚し、時々結婚生活の事をバラエティ番組でも話している姿をみるくらい順調そうな西村家でしたが、2015年冬に実は離婚していたとわかります。

サンスポが2017年12月末に報道した内容によると、2012年に國重さんがアメリカに拠点を移したことで長距離の別居婚が続き、何度か協議を重ねた結果、お互いの慰謝料なしで円満離婚に至ったとのことです。

2018年時点で西村さんが51歳、國重さんはその一回り年下の39歳です。

國重友美さんとは、結婚前は一年ほどだけタレントでもあり、アルファベットと漢字を組み合わせて文字を作る英漢字(ええかんじ)という独自の文字を考えて表現する書家です。ええかんじとは、良い感じの関西弁をそのまま取っても居るそうです。2003年には商標登録されているので、似たようなものは作れません。

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これは、國重さんがパフォーマンスをした時の写真ですが、「速」と言う感じの中に「speed」のアルファベットが入っているそうです。分かる人にはわかるみたいです。

拠点をアメリカに移した年にはロサンゼルスで個展を開いたり、シカゴで物販をするなど書家としてのキャリアを順調に築き上げています。

遠距離になったからすれちがって離婚したそうですが、オフィシャルサイトを見る限り、離婚してからは日本を拠点にしているような印象です。特に再婚もされている様子はありません。もしかしたら家庭には縛られない本当に芸術家タイプの方なのかもしれません。

國重さんの作品として有名なのは、2015年に放送された大河ドラマ『花燃えゆ』の文字や、ケツメイシの「遊」という字に見える毛筆ロゴもketsumeishiを組み合わせて書かれているそうです。

恐妻家として有名だった

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西村さんと國重さんとの間には年子のお子さんが2人います。2008年1月に第一子の男の子と、2009年2月に第二子の女の子です。

長女が生まれた時は、西村さんは2か月の育休を取ったり、幼稚園行事にも参加している西村さんの姿を目撃されています。また、お子さんにキャラ弁を作ってあげる等イクメンでもあるそうです。

これだけ見たら、父親が積極的に育児に参加しているような印象ですが、実はただ國重さんの尻に敷かれていただけのようです。

インタビューで西村さんは、物件を探すのも、家のレイアウトも全て國重さんに任せたそうです。唯一キッチンだけは西村さん自身が料理をしやすいようにシンクの位置を高めにしたと話しています。

バラエティ番組で、西村さんが話していたことですので少し盛っているのかもしれませんが、一度創作活動に國重さんが専念してしまうと、何もしなくなるため料理洗濯ゴミ捨てなどの家事全般は西村さんがしていたそうです。

國重さんは、長男が生まれる前は風呂上りの体を西村さんに拭かせたり、用を足した後のトイレットペーパーで拭くのをわざわざ西村さんを呼んでお尻を拭かせたりなど、甘えを越してワガママ放題だったようです。

それだけではなく、西村さんが仕事前にビーフシチューを作って家を出ると「これ見よがしに作っている」など文句をつけてきたこともあったそうです。

十分奴隷のような生活を送っているように見える西村さんでしたが、惚れた方が負けの精神なのか國重さんが期間を決めずに単身アメリカに飛び立つまでは恐妻家ネタとして話すくらい余裕があったみたいです。

実際に、長女を出産してからは西村さんと夫婦で『ダウンタウンDX』や『はなまるマーケット』、『踊るさんま御殿』などで共演し、仲良く恐妻家としてのネタを話しています。

その結果、國重さんのメディアの露出や個展開催も増え、英漢字の認知が広がりました。

2人の出会い

西村さんと國重さんの出会いは、2005年の夏に西村さんが司会をしていた京都のローカル番組で共演したことがきっかけだそうです。

國重さんの個展を訪れた際に、西村さんは「初めて会ったときに稲妻に打たれたような衝撃を感じた」そうです。

そして3回ほど会っただけの関係なのに、西村さんは國重さんが27歳の誕生日に、電話で交際を申し込みます。その電話では國重さんは返事をしなかった所、すぐに西村さんは國重さんがいる山口県まで行って再度直接告白したそうです。

告白時に國重さんが「結婚前提よね?」と聞いて、西村さんは快諾。國重さんの父からは一度反対されますが、交際から2か月後の2006年5月に電撃結婚を発表します。

西村さんはバツイチになって間もなく、出会ってから1年も経たずに結婚したんですね。

確かに、國重さんは書家になる前は、ホリプロのタレントスカウトキャラバンの最終選考まで残るくらい可愛い人です。アイドル3人組ユニット「jolly jolly」に入りアイドル活動もされていたそうですので誰かに取られる前に、と思ったのかもしれません。

西村さんのプロポーズの言葉も、理想のプロポーズだと言われています。

「たとえあなたの才能が枯渇しても僕はあなたを愛しています。僕は根無し草で、仕事も安定した職業ではないけれど大事にします。結婚してください。」

というのが西村さんから國重さんへのプロポーズだったそうです。國重さんの才能が枯渇する前に西村さんの愛が枯渇してしまったんですね。

西村和彦さんの一回目の結婚は真逆


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國重さんとの結婚生活ではとことん尽くす夫になった西村さんでしたが、前妻の立原麻衣(たちはらまい)さんとの結婚生活は亭主関白だったそうです。

立原さんと西村さんは、既に亡くなられている俳優の夏木陽介さんが主宰した「夏アクターズスタジオ」のお互い生徒として知り合います。

二人とも31歳の1996年に結婚します。西村さんは、30代の時はプライベートをあまり周りに話さないのが俳優だというポリシーを持っていたそうで、いつから交際が開始したのか、プロポーズの言葉は何だったのか、結婚式は行ったのかまではわかりませんでした。

それから約10年連れ合い、こちらも特に悪い噂を聞かないまま2005年1月に離婚しています。

離婚原因は不明

立原さんとの離婚理由は明らかになっていませんが、10年間の結婚生活を経てお子さんができなかったことか、西村さんが浮気をしたのではないかとも言われています。

離婚後は、立原さんは本名の岩山立子としてジャズシンガーとしても活躍されています。

再婚はしていないようで、立原さんを検索すると俳優の嶋大輔さんの名前が出てきますが、立原さんが主演した映画『インフェルノ 蹂躙』共演しただけでした。離婚時からすでに嶋さんは既婚者ですので不倫になってしまいますからね。

立原さんとの結婚時は亭主関白だった西村さんは、國重さんの「家族を楽しませられない人が、他の人を楽しませられるの?」という言葉で変わったそうです。

そしてポリシーだった私生活を明かさないことを止め、立原さんとの結婚生活との反対になったみたいです。

シングルファザーとしての生活

立原さんとの結婚生活での亭主関白も秘密主義も止めて、國重さんとの夫婦生活は尽くすイクメンになった西村さんは、二人の間にできたお子さん2人の親権を貰います。

そして、離婚してから約2年間公表しなかったのは、お子さんの気持ちを考えて、新生活が落ち着くまで待っていたそうです。

いくら普段から面倒を見ていたとは言え、離婚当時は7歳と6歳で小学校に入学したばかりのお子さん2人の育児もしつつ、お仕事もとなると大変ですよね。

実際に離婚後は仕事を抑えているのか、バラエティへの出演はなく、映画やドラマへの出演回数も減っています。

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老舗うどん屋で身体を鍛えた西村和彦さん


西村さんと言えば、京都通でも知られており、『秘密のケンミンショー』では京都代表として時々出演されていたり、京都の案内人や京都や関西を紹介する番組『Go on』のメインMCも務めるほどです。

特に有名なのがテレビでも何度か紹介されたご実家のうどん屋です。

伏見稲荷大社内の実家

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京都生まれ京都育ちで、高校まで京都だった西村さんの実家は、伏見稲荷大社の境内にある四ツ辻茶屋『仁志むら亭』という老舗のうどん屋です。

正確にはうどんだけでなく、そばやいなり寿司、ソフトクリームなどが食べられるお茶屋さんです。伏見稲荷大社に参拝しに来た観光客の方たちの憩いの場になっています。

伏見稲荷大社と言えば、千本鳥居が有名ですが、伏見稲荷大社のある稲荷山は標高233メートルで山の中にあります。そのなかでも仁志むら亭のある四ツ辻は山の中腹あたりにあり、テラスからは京都タワーから桃山城まで京都市の街並みが一望できる離れもあります。

この『仁志むら亭』は京都の中ではまだまだ若い方なのだそうですが、1864年に創業してから150年続く老舗です。

1864年と聞くとイマイチどれくらい前なのかわからなかったので、何があったのかと調べてみたところ、池田屋事件が起きていたり、西郷隆盛率いる薩摩藩が長州藩に勝利し、長州藩が脱藩して高杉晋作が京都に潜伏し、坂本龍馬も脱藩していたなど幕末動乱期の頃でした。もしかしたら高杉晋作が一休みしにきていた茶屋だったかもしれないと考えるとアツいですね。

もともと仁志むら亭ができたきっかけは、幕末の動乱の中で治安が乱れたために、伏見稲荷大社の参拝客の安全と便宜を図るために、警護・休憩所を作ってほしいと稲荷山のふもとに住んでいた庄屋の西村丈右衛門さんが頼まれて始めたそうです。

参道ですので車は使えず、毎日学校へ通う時や何か買い出しを頼まれた時など何往復もしていたそうです。西村さんにとっては毎日がちょっとしたハイキング並みの運動量だったと思われます。その結果、自然と足腰が鍛えられたと話しています。

外観からわかる通り、昔ながらの家の造りになっていて、階段は急でよく足を踏み外したり、小さい頃は五右衛門風呂で、トイレもくみ取り式だったそうです。

もっと以前はただの茶屋としての役割だけでなく、滝行で来た方も泊まれる宿坊でもあったそうで、二階には部屋が7つあり、布団部屋もあったそうです。

家を継いでいたかも

現在の仁志むら亭は西村さんのお兄さんが継いでご両親と切り盛りしています。

西村さんの母親は、高校を卒業した西村さんが東京の大学に進学するのは止めなかったそうですが、役者ではなくお兄さんと一緒に仁志むら亭を継いで欲しかったみたいです。

確かにイケメンとは言え、次の仕事がくるかもわからない役者よりも、トリップアドバイザーで何度も1位になるような観光客がたくさん来る繁盛店の店主の方が安定的に稼げそうではあります。

もしかしたら、西村さんのお子さんが大きくなった頃に、父とは反対に仁志むら亭を継ぎたいと言い出すかもしれませんね。

編集者のまとめ


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いかがでしたでしょうか?

俳優、西村和彦さんのプライベートについて調べてみたところ、一目惚れからオセオセで交際、結婚をし、書家の妻に尽くすイクメンパパでした。

しかし、運命の相手だった奥様とも遠距離で心も離れてしまい、離婚してからはシングルファザーとして家事と育児に集中するためか、俳優業を抑えながらも両立されています。

京都のご実家で小さい頃に培った体力を生かして、これらからも二児の父として、演技派俳優として頑張っていただきたいですね。

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